2007年3月27日火曜日

ペックちゃん

石川県での地震が続いていますが.....
被災地の方々にはお悔やみを申し上げます。
関西出身の私はトント地震には縁がないのですが.........
あの阪神大震災の前年に、
蓼科に来ていたので、震災知らずです。
(妻はそのときはまだ大阪に居て、
Nsをしていたので、2日後には現地に入って、
救護活動をしていたそうです。)
京都のログハウス工務店に居た時、
蓼科にログハウスのお手伝いに来て、
それからご縁があって移り住むことに
なったのですが...........
水道やガスがない掘っ立て小屋からの
スタートでした..........雨水を貯めて生活用水に....
京都を離れて一人の生活でしたが......
その蓼科での生活の支えとなってくれたのが、
よき相棒だったペックです。
ログを建てたビーナスライン沿いにある
ステーキハウスの「ノースポイント」さんは
日本で始めてフラット・コーティッド・レトリバーを
輸入しブリーダーとして紹介された方です。
そのときに譲り受けたのがペックです。
私が映画好きだったので好きな俳優の
グレゴリー・ペックから命名しました。
お母さんがアメリカンチャンピオンということで、
姿勢もよくってハンサムボーイでした。
寒い蓼科の冬、飲み水も凍るような小屋で
おが屑にくるまって暖を取って
いた事を思い出します............
いつも一緒で軽トラックの荷台でよく待っていました。
人懐っこくて、食いしん坊のペックです。
水が好きで蓼科湖でも近くの川にでも
よくダイブしてました...........
年を取っても少年??のようで、
お散歩という言葉を聞くと、飛び跳ねていました。
よく「2人は一心同体、少女隊」とあほな事を言って、
スクラムを組んでいたのですが、
結婚してからは、力関係を知っていたのか...........
妻の方に懐いて、従っていました。
環境のいいところで、もっと長生きしてくれると
思っていましたが............
去年の2月に亡くなってしまいました。
13歳でした...............
動かなくなったペックを抱いて泣きました。
ペックがいたから、蓼科で踏ん張れたと.........
ありがとう...........って.......
震災と言う言葉を聞くと、
なぜかペックを思い出してしまいます。
きっと今頃は、元気に走り回っていると
思います................
そしてまた頑張ろうって奮起するのでした。

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